2020年5月16日土曜日

びっくり! 「幸福」はオートノミートレーニングの到達目標はではない!?の巻Ver.1.3

クリームです、ステイホームの中、悩んだとです。。。
「幸福」が分からんとです。。。「幸福」って何ですか?あなたは「幸福」ですか??
クリームです。クリームです。クリームです。。。


ご存知の様に成書「オートノミートレーニング」の表紙には「健康・幸福・社会の安定」と書いています。
ずっと何となく、オートノミートレーニングは「健康・幸福・安定」や「快・幸福・安定」を目指しているんだろうなあ〜認識してました。
しかし、改めて考えてみると、「健康」はWHOも定義してますし分かります。「快」や「安定」も分かる気がする。
しかし、「幸福」って分かります?「幸せ」って何だっけ??


私が、オートノミートレーニングを理解しづらいと思ている要因の一つに「幸福」自体が分かっていない事に気付きました。

ゴールの「幸福、幸せ」がどんなものかも分からないのに「幸福」を目指す!!
北極星の見えない闇夜に、北極に行くがいい!(←予言者より)と氷原に放り出された様な感じをずっと持ってました。

しかし、苦悩の中で(大袈裟!)成書の「序文」を読むと、そこには私のモヤモヤが晴れる記載がある事に気付きました。

成書によると「『幸福感』は人間がうまく機能して、自らの欲求をうまく満たす事が出来ている「指標」とも言える(序文引用)」とのこと。
つまり、「幸福感」は「慢性ストレス」を感じていない(快適な感情≒対象依存のない状態)を評価する指標として考えてもいいということでしょうか(クリーム解釈)
という事は、「幸福感」は個人の活動の方向性と活動量のバロメーターとも言える!!
という事は、「幸福感」を指標に色々やってみたらいい?(←アバウト)って事ですか?
「幸福」に到達することは自体はオートノミートレーニングの目標と考えなくても良い?!


そこでクリームは考えました。
到達地点はないって事は、オートノミートレーニングはどこに向かっているのでしょうか?
思いますに、それは「テイラーメイドな自律的なセルフレギュレーションを創り出すこと」だと思います。

もっとクリーム流の解釈を加えますと、
人間を含む「動物」は「自由に行動すること」自体が幸せではないのでしょうか?私たちは「植物」ではないのですから。
ですので、植物に近い生き方、例えば「ずーと寝て過ごす」などは一時的には幸せ感を得るのかもしれませんが、オートノミートレーニングで得られる幸せではない?

つまり、以下の様にいくつか付帯事項を伴いますが、まとめると、

人の幸せとは「心理的制限を受けずに、(その個々人の活動能力内で、反社会的でない方法で、)自由に行動すること」

その方向に向かって歩みだせること自体で「幸福感」が生まれ、そのベクトルの大きさによって「幸福の量」を感じその活動自体が、目的でもあり到達点であると思いました。

「幸せ」って「行動ベクトル」そのものと思いましたが、クリーム説はいがかですか?

そう思うと、闇夜の氷原で、小さな「方位磁石」を手に入れれた気がしました。
この「方位磁石の示す方向」≒ 「対象依存のない状態で感じる進みたい方向」に、気の向くまま歩んで行けば、その歩み自体、進み自体、または休憩自体。全てが「幸せ」の世界を創っていくということだと解釈しました。

という事は、やはり「幸福」には到達点はない!ということですか??
それはそれで、「虹の起点を見て見たい」「地球の果てを見て見たい」という様な、見果てぬ目標を目標にして、苦しい気持ちにならなくていいんだなあ~と思い、何だかさらに楽になりました。

「旅の目的は旅をすること自体」それとよく似ていますかね(^^)?

以上で、クリームの独り言は終わります。

次回は、「慢性ストレス解決のための鍵穴は実は2個あった!!」の巻をアップしようと思います。
お付き合いありがとうございましした。

つぶやき: クリーム
配信:アイス
プロデュース:オッギー

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